第23章　狛犬は何に祟ったか――駒形神社の狛犬たち

　雑誌『旅と伝説』昭和14年3月号所収の「陸中水沢町聞書」（森口多里）という文章に「狛犬の祟り」という言い伝えが紹介されています。
　長いものではないので、書き写してみます（漢字は現行のものに直した）。

　水沢に胆沢県庁が置かれてゐた当時の県令が公園の狛（石彫の一対のアマ犬唐獅子）を土中に埋めた。しかるにその祟りによつて小参事の妻が眼病にかかつたので、掘出したところ眼病も快癒した。（以下別の話なので略）

　話の採集時期の明記はありませんが、どうやら大正年間のようです。
　この話を伝えたのは筆者の母で、〔註〕として筆者は

　土中に埋められた狛犬の物凄く吠ゆる声が聞こえたといふ話も聞いた記憶がある。

と書いています。

　狛犬が祟る話というのは私の知る限りではあまりなく、他には東京の新田神社の「うなる狛犬」が似た話として思いつくくらいです。
　興味深い話なので、その背景を調べてみることにしました。

　まず、こに書かれた≪胆沢県≫ですが、現在の岩手県南部にあった行政区です。
　明治2年8月12日（正式公布は17日）に設置され、明治4年11月2日、府県統合で一関県・江刺県と統合され一関県となり、廃止されています。
　県庁のあった水沢町は、その後水沢市となり、平成の大合併で奥州市水沢区となっています。

　≪公園の狛≫とありますが、この公園とは東北本線水沢駅近くの水沢公園で、その一角にある駒形神社の狛犬がそれであると、筆者は〔註〕の中で述べています。
　それについて、さらに

　胆沢県時代には未だ公園とならず、駒形神社も無かつたからおそらく狛犬は塩釜神社の社前に置かれてゐたのかもしれない。

としています。

　これは以下の事情を述べたものです。

　駒形神社は、もともとは駒ヶ岳の南方の大日岳山頂に奥宮があり、近世になって駒ヶ岳山頂に遷座したと言います。
　この奥宮は険しい山頂にあって参拝が困難で、また女人禁制であったことから、江戸時代に麓に里宮が造られました。
　維新後、明治4年に駒形神社が国幣小社に列格されるにあたって、奥宮・里宮ともに参拝に不便なため、水沢の塩釜神社を仮遥拝所としました。
　その後、明治7年に社殿を改修して正式な遥拝所とし、さらに明治36年になって、奥宮の神霊をここに遷座し、駒形神社の本社とします。
　つまり、塩釜神社を駒形神社に改めたわけです。
　押し出された塩釜神社は境内別宮であった春日神社に合祀し、春日神社の社名を塩釜神社に変えました。

　一方、水沢公園は明治11年に蓑虫山人の設計によって、塩釜神社を含む一帯に作られたとのことです。

　つまり、筆者の母がこの話を語った時には水沢公園の駒形神社の狛犬を念頭に置いているけれど、事件があったとされる胆沢県時代には公園はなく、神社もまだ塩釜神社だったので、本来は塩釜神社の狛犬だったのだろう、ということです。

　ところで、筆者の母は狛犬を埋めた人物を県令としていますが、〔註〕では当時は権知事・大参事・少参事という制度だったので、これは権知事のことであろうとしています。

　調べてみると、胆沢県発足当時の陣容は権知事が武田敬孝、大参事が安場保和、少参事は野田豁通というものでした。 その後、武田と安場の意見の対立もあり、明治3年5月19日に武田が権知事を免職となり、以後、県廃止まで知事は補任されませんでした。この間、県政のトップは大参事であったことになります。
　一方、対立した安場も明治3年9月17日に大参事を免官となり、その後、同日付で嘉悦氏房が後任の大参事に任命され、明治4年9月までその任にありました。
　この間、野田は一度辞表を提出するものの少参事の任を継続していたようです。

　筆者に従うと、狛犬を埋めたのは武田敬孝で、眼病になったのは野田豁通の妻、ということになります。

　ここまで調べてみて、狛犬が祟ったという言い伝えが生れた背景には、幕末維新の歴史が関係しているように思われます。

　まず、胆沢県の前身である水沢藩は仙台藩の支藩で、本藩とともにいわゆる『奥羽越列藩同盟』に組していました。
　いわば戊辰戦争の≪敗戦国≫です。
　維新後、そこに支配者としてやってきた権知事以下の面々ですが、武田は旧伊予大洲藩士、安場・嘉悦・野田は旧肥後熊本藩士です。
　彼らは薩長からすれば傍系とはいえ、この土地に縁もゆかりもない≪戦勝国≫＝新政府の人間です。
　まだ標準語などというものがなかった時代でもあり、言葉自体通じなかったと言われています。

　当然、地元住民は彼らに反感を覚えたでしょう。
　実際、凶作の影響もあったでしょうが、明治3年11月には一揆も発生しています。

　そう考えると、狛犬を埋めるという行為は、よそ者による地元の文化や伝統をないがしろにするということの象徴にも感じられます。

　また、野田の妻・住子は、元々は新橋の芸妓だったのだそうです。
　祟りの被害にあうのが狛犬を埋めた武田ではなく、住子であるというのは、芸妓を賎業として蔑む気持ち、そしてそんな女を支配者の妻として尊重しなければならないことへの屈辱感を反映しているのかもしれません。

　そして、狛犬を元に戻して病気が治るというのは、地元との折り合いがついたということにも見えなくはありません。

　実は、この水沢からは台湾総督府民政長官・満鉄総裁・逓信大臣・東京市長などを歴任した後藤新平や海軍大臣・朝鮮総督・首相を歴任した斎藤實といった人材が世に出ています。
　旧水沢藩士の子弟であった彼らに、そのきっかけを与えたのは安場や野田であったと言います。

　そういう関係が反映された言い伝えだと解釈するのは、牽強付会ではありますが、ちょっと面白いと自分では思っています。

　 ところで、この言い伝えの前提となる「県令（実際にはおそらく権知事）が狛犬を埋めた」「少参事の妻が眼病になった」という事実は、存在したのでしょうか。
　私の簡単な調査では残念ながら確認できませんでした。

　しかし、解せないことがあります。

　「狛犬を埋めた」という事実があったとすると、胆沢県の存在した明治2年8月から明治4年11月までの間の出来事ということになります。
　時あたかも明治初年のいわゆる≪神仏分離令≫を契機に、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れている頃です。
　明治新政府は神道を国民統合の象徴にしようとし、江戸幕府の統治機構の一端を担ってもいた仏寺は後ろ盾を失って衰退していた時期です。

　仏像が埋められるのならともかく、明治新政府から送り込まれた人物が神社の狛犬を埋めるというのは、不自然に思えます。

　大参事の安場保和が赴任直後に政府に宛てた報告書には、「戊辰戦争のため、政府から命令されている『神仏混淆取調』が進んでいない」ということが記されているそうですから、逆に言えば、彼ら胆沢県首脳の主導の下に、神仏分離が実施されたということでしょう。
　そのことは住民の反感を招いた可能性はありますが、狛犬を埋める理由にはならないように思えます。

　そこで、実際にその狛犬を見てみれば何かわかるかもしれないと思い、水沢まで問題の狛犬を探しに行きました。

　水沢公園の北西の一画を占めているのが、駒形神社です。
　その境内を探してみると、北側に抜ける脇参道に、木々に埋もれるようにしてひっそりと1対の狛犬が存在しています。

　これが、祟った狛犬でしょうか？

　一見して、台座に比べ、狛犬本体はより風化が進んでいるように見えます。
　本体より台座が新しく見えるあたり、「一旦埋めた狛犬を掘り出して台座を新調して据え直した」という想像を呼び起こします。

　しかし、台座には「奉納　水沢町横町　辻山又治郎」とのみ刻まれていて、年代はもちろん、設置の経緯も何も確認できません。
　雰囲気として維新以前の狛犬と判断しても不自然ではないように思いますが、明確な証拠はありません。

　ちなみに、水沢公園の開設を提唱した人物の中に『辻山義直』という人物が含まれているそうですが、『辻山又治郎』はその係累でしょうか？

　結局、現地を訪ねても、謎は謎のまま残ってしまいました。

　ところで、水沢を訪ねる直前に、偶然にも駒形神社の古絵葉書が手に入りました。

「境内北参道景」というタイトルの写真。 現在の方が樹木が鬱蒼としているが、およその様子は変わっていない。 左端に写っているもの（右の拡大写真）は上記の狛犬か？

　それを現在の姿と見比べてみると、いままでに他の神社でも度々発見した、ありがちな変化に気づきます。

　現在、神社正面の鳥居の前には下の写真のように岡崎現代型狛犬があります。

　しかし、古絵葉書を見ると、台座は同じもののようですが、狛犬が変わっています。
　色合いから考えて、古絵葉書にあるものは金属製で、おそらく戦時中の金属類供出で狛犬が取り払われ、戦後に再建したのでしょう。
　台座には「奉納　水澤町　小林俊平　昭和九年九月吉日　大阪市南區八幡筋角　製作者　井上重蔵」と刻まれた銅板が嵌め込まれています。
　これは失われた狛犬のもので、岡崎現代型狛犬のことではないと考えられます。

　江戸時代から存在したであろう狛犬は、幕末維新の戦争の後、よそ者によって埋められて、唸り声を上げて祟りをなしました。

　その後に据えられた金属製の狛犬は愚かな戦争の武器とするため鋳潰されましたが、祟りもせず、戦後、ひっそりと違う狛犬に置き換えられました。

　いや、あの敗戦こそが、日本各地で鋳潰された狛犬の祟りだったのかもしれません。