猿の威を借る狛犬


 大護八郎監修「日本の石仏」(昭和58年 国書刊行会)という全10巻の写真集を購入した。
 タイトルの通り、日本の各地に存在する石仏を地域ごとにまとめたものだ。

 石仏の研究者や愛好者は、なぜか狛犬を好まないという傾向がある。だから期待はしていなかったが、この膨大な写真集の中で、紹介されている狛犬はわずかに2対のみである。

 1対は、ここでも紹介した愛知県岡崎市の犬頭神社にある越前石(笏谷石)の狛犬。
 「第5巻 北陸編」に越前石の作例として、地域を越えて取り上げられている。

 もう1対の狛犬は、意外にも東京都新宿区の鎧神社の狛犬である。

 意外というのは、こうした写真集で、取り上げられるとしたら、京都府宮津市の籠神社の狛犬ではないかとという予想に反していたということ。
 また、紹介されているのは「第7巻 南関東編」なのだが、地域を南関東に絞ってみても、目黒不動尊の狛犬赤坂氷川神社の狛犬といった、これよりも古く(もちろん、古いだけが価値ではないわけだが)、特色もある狛犬があるはずなのにということ。

 しかし、ある面において、≪石仏系≫の人なら、これを選ぶだろうと、納得もいく。

 これがその鎧神社の狛犬である。

(上)鎧神社狛犬の阿吽1対

(上左)阿像の尻尾

(左)阿像の側面

なお、撮影時期が1995年と2003年で、その間に社殿が改修されたため、状況が少し変わっている。

 

 一見、猿のように見える。
 しかし、頭部には角らしき突起があり、また、猿のものとは異なる大きく広がった尻尾がある。
 だから、狛犬であることには間違いがない。

 しかし、新宿区が設置した解説板には、こう書かれている。

 「狛犬型庚申塔」

 

 庚申信仰、というものがある。

 人間の体の中には、「三尸の虫」というものがいて、これが人間の体から抜け出して天に上り、天帝にその人間が行った罪業を報告し、天帝はその報告に基づいてその人間の寿命を決める。
 この「三尸の虫」は、庚申の日の夜、人間が寝ている間に身体を抜け出す。
 そこで、庚申の晩に徹夜の行をして、「三尸の虫」を体内に封じ込め、天帝に余計なことを報告できないようにする。
 庚申の日は、十干十二支の関係で60日ごとにやってくる。つまり年に6回。それを決められた年数繰り返すと、「三尸の虫」は死に、長寿を得られる。

 ごく簡単に言うと、そういう信仰である。

 中世以降、人々は庚申講という集団を作り、庚申の日に皆で揃って徹夜をする「庚申待ち」という行事を行った。
 その講中が記念に建てるのが、庚申塔なのである。

 庚申塔は、通常は塔あるいは碑の形をしている。
 代表的なものは、青面金剛と呼ばれる仏を中心に据え、その下部に「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿」を刻む。 刻まれる仏は青面金剛以外にも何種類かある。

(上左)青梅市の宗建寺の庚申塔。文化九年(1812)。
形が変わっている上、「三猿」は踊っている。

(上右)新宿区の築土八幡神社の庚申塔。寛文四年(1664)とされるが、偽刻説がある。
猿が桃を持つという変わった図柄。

(左)江ノ島の庚申塔。年不詳。
ここには1面しか掲載しないが、塔の4面に猿が合計36匹刻まれている。

 

 この庚申塔は、石仏趣味や石仏研究の中においては、主要なジャンルのひとつだ。
 その庚申塔が、珍しくも狛犬の形をしている、ということであれば、取り上げたくなるのも道理ではあろう。

 さて、鎧神社の狛犬が「狛犬型庚申塔」とされる根拠は、台座に庚申待ちの記念に設置したものであると記載されているからである(解説板参照)。

 解せないのはここのところだ。

 狛犬の寄進理由には、様々なものがある。
 神社が鎮座して何年になるとか、寄進者が初老だとか還暦だとか、何か祈願が成就した記念だとか、種々ある。
 その中に、庚申待ち記念という理由があったっていいはずだろう。

 なぜ、鎧神社のものだけ「狛犬型庚申塔」としなければならないのか。
 私も、それなりの数の狛犬を見てきたが、「狛犬型庚申塔」などと呼ばれているのは、この1対のみだ。
 「庚申待ち記念の狛犬」では何がいけないのか。
 戦死者の忠魂のために寄進された狛犬があったら、それは「狛犬型忠魂塔」で、災害被災者の慰霊のために寄進された狛犬があったら、それは「狛犬型慰霊碑」だとでも言うのか。

 今回購入した写真集は、新宿区の文化財指定よりも以前に出版されているからか、「狛犬型庚申塔」とは表記されていないし、解説文中では「庚申講中で、寄進・奉納した、狛犬」と書かれているが、それを紹介しているのは「江戸・東京の庚申塔」という章なのである。
 「庚申塔」寄りの認識であることには変わりはない。

 狛犬を「狛犬型庚申塔」と言い換えなければ、そこに価値を見出すことが出来ないなんて歪んでる。
 それほどまでに狛犬がお嫌いですか?

 私には、まったく理解できない。